下街道とは、大井(恵那市)から池田宿(多治見市)を経て名古屋へ至る、全長14里20丁(約57q)の街道です。
江戸時代の宿駅制度では、物を運ぶためには決められた街道を通り、宿場町での取次を受けて高い通行料を払わなければなりませんでした。江戸〜大井〜草津間を結ぶ中山道は特に山深く、13もの峠越えがありました。江戸からの荷物を名古屋へ運ぶには、わざわざ伏見まで遠回りをすることになるので、時間もお金も労力もかかりました。
そこで皆は、ご法度を承知の上で近道の下街道を使うようになりました。また、武士以外の庶民には通行の規制がなかったので、御嶽・善光寺参りや、伊勢・熱田参りのために下街道を利用しました。

池田宿は美濃最南端の宿場町であり、険しい内津峠の手前ということで多くの旅人が立寄り、地域一番に繁栄しました。庄屋はその財力で多治見の地場産業である陶磁器の職人に土地や薪代を貸して助け、その後の陶磁器産業発展につくしました。当時の陶磁器は、今渡湊・兼山湊(可児市)で舟積みされ、木曽川を経て桑名、大坂、江戸へと運ばれました。(一方で陸路では、愛知県三河地方〜信州へ通じる中馬街道を経由して信州、東北へも運ばれました)

また、池田町からは宮大工の野村作十郎(京都御所から従五位を叙位)や、明治に自由民権運動に尽力した小池勇といった人物を輩出しています。
明治33年に鉄道が開通すると、物流の中心は多治見駅周辺に移り変わります。その後、下街道は国道19号線となり、人から車へと通行の主役は変わりました。現在は当時の面影を残す建物が静かに並ぶ町並が残っています。

池田宿

明治初期の記録によれば、町並は東西に五町半(600m)続き、 旅籠屋、茶屋、かご屋、風呂屋、陶器商、まんじゅう屋、うどん屋などがひしめきあっていた。現在は細くゆるやかな曲がり道に、名残を感じさせる建物が数件残る。

 
格子の残る家 油屋利八

右側の格子の家はその昔菜種油を売っていた、油屋利八というお店でした。格子の先に1826年(文政九年)建立の近郊で最大の常夜灯が望まれます。ここ池田宿には格子の残る家が 此の他にもあります。

 
  • ガイド方法
    池田町郷土資料館前で待ち合せ後、
    徒歩でご案内いたします。
  • 標準ガイド時間 移動時間を含めて1時間〜1時間半
  • 池田宿の主な店(明治13年当時)
    宿屋 6軒(旅籠宿・商人宿・木賃宿)
    宿屋・和泉屋彦左衛門
    休所・吉田屋兵左衛門
    茶屋 3軒
    酒屋 2軒
    米屋 5軒
    菓子屋 5軒
    陶器関係 5軒

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道標

池田町に立つ道標には、「左 なごや・いせ道、右 東京ぜんこふじ(善光寺)道」と彫られている。正確な地図もなかった時代、旅人には心強い道しるべだった。

 
常夜灯

旅人が夜間も安心して通れるように、街道沿いに建てられた石製の常夜灯。本町の交差点と池田町に残っている。池田町のものは石段・燈籠合わせて3.8mと下街道でも最も大きく、「秋葉山 村中安全 文政九年」と彫られている。

 
池田町屋郷土資料館

地域の歴史を後世に残すため民家を資料館に改築して、収集した郷土の民具や歴史資料を展示して紹介しています。

住所/多治見市池田町7-85
電話/0572-23-4841
開館時間/9:00〜16:00
開館日/水・土・日曜日

 
永泉寺

奈良時代に華厳宗、鎌倉時代に真言宗、江戸時代に曹洞宗となり現在に続く。国の重要文化財「木造聖観音立像」はじめ多治見市有形文化財数点を所蔵。本堂の入口向拝には、池田町出身の名工野村作十郎作の精巧な彫刻があり、必見の価値がある。

 
 

いつもの景色の中に、歴史の面影がひっそりと残っています。江戸時代に多治見に住んでいた人は、どんな町並の中、何を着て、食べて、仕事をして生活をしていたのか・・・。はるか昔に思いをめぐらせてみるのも楽しいものですね。


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